お正月の神社の出店が好き。

その場にいる人みんな、同じ屋台を見て通ってきた事実。厳かでチープな見た目と可愛くない価格設定。新年という特別な状況下での人混み。きちんと左右分かれる人達。たまに着物。ガキ共。

 

夜の屋台の方が好き。

 

みんな吐くほど苦しいことを経験して生きてきた上でチョコバナナを食べている。怪しい提灯と、カラースプレーが縁日を飾る。

 

売り切れた商品が惜しい。

廃棄されるであろうもの達が急に愛おしい。

フードロス無くなれば良いのにな。たまに嫌なことを思い出す。

 

熱がある時に見る夢に似たような、歯がコーティングされていく感覚。非現実。醒めることが前提の賑わい。

中身なくふらついていても認められる。「その場にいる人」として護られる。関係がなくなる。

 

なんとなく引いてしまうおみくじ。何故か大吉を望む浅はかさ。

 

「転居 良いでしょう。」

 

間に受けてしまう。引越そうかな。

敷金礼金ゼロとか書いてある物件、その気もないくせにちょっと見てしまう。間取り図から生活を想像したりする。

 

石造りの低い塀のようなものに缶酎ハイ置いて焼きそば分け合うカップルが風物詩となる。

マフラーにソース付いたりしてる。ウェットティッシュ渡したくなっちゃうなあ。持ってないけど。

 

神様、仏様に普段お世話になっているつもりはない。

「罰当たり」という言葉が存在するから、御礼をするために境内へ侵入する。

その瞬間だけ都合良く心が穏やかになる。

 

宗教や偶像は欠かせない拠り所である。人間は本当に弱い。

黄金期のモー娘。の歌詞、「人間は脆いもの」「みんな孤独である」とかが多い。つんくの傾向。

 

ねえ、缶ビール500円?500円って。

 

500円あればコンビニで4本買える。

とか言いながら買ってしまうの何故?

今この時でしか味わえない気がする。気がするのではなく、実際そうなのです。「風情」というものは。

 

経済を回す際に得られる快楽が堪らない。同時に存在意義も得ることができる。

 

そんなことを考えているうちに客足も減る。寂しいなあ。また来年。